現在韓国ソウルに住んでいます。書くことが好きです。
2022年9月に第二詩集『LAST DAY OF SUMMER』を出しました! 最新のコメント
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問いと満足
ホテルの浴室はみな同じような匂いがする いつも暑くもなく寒くもない なまぬるいタイルを裸足で踏んで便器に座ると 自分がどこにいるのか分からなくなり 唐突に誰にともなく問いかけているのに気づく ぼくらはいったい何をしてるんだ? 鏡に目の下のたるんだ脂肪とこけた頬がうつっていて その顔はモンタージュ写真のようにぼやけている 無数の他人によって肉づけされた曖昧な表情 誰かがやったように人生を誕生・交合・死の三語で片づけるのは 墓に逃げこんでからでも遅くはない ぼくは生きていて六十歳 もうそれともまだ? 今朝ホテルの前の通りで双子とすれちがった ロボットみたいに同じ顔のじいさんふたりは からだつきも歩きかたもそっくりで 個性なんていう発明をあざ笑っているかのようだった 人種も母語もちがうけれどぼくも君らに似ている コピーとマンガとS・Fのこの時代に共に生きて 地下鉄の駅で見かけたばあさんは おっぱいがおへそと等しい位置にあることが まっ白いスエターの上からでも分かった 彼女の顔は陽気に輝いていて 人をからかい人にからかわれながら 何世紀も幸せに暮らしてきたのがよく分かった ホームの壁にはられた巨大なポスターには 三歳で父親に強姦されたという中年男の写真が印刷されている いったいどこまでが真実なのか この世の混沌は精密だ 一週間有効のパスを買いこみ地下鉄に乗って都市の煉獄をうろつき 長いエスカレーターを上り下りしてぼくはしばし天国を訪れる 天使はいないとしても博物館にはMUSEがいる 教会のように高い天井から 昔の敵機スピットファイアがぶら下がっていて その下にはレオナルドの空飛ぶ機械の素描 ここではすべてが展示され解説され 戦争と革命に加速された進歩と向上の神話がお経みたいに繰り返される 中学生の一団が床に座ってサンドイッチを食べている 五月の東京でぼくもかつて中学生だった ぼくは錐であけたような小さなふたつの穴をみつめていた ひとつはうんこの穴もうひとつはおしっこの穴 のっぺらぼうの顔 からだは赤ん坊のように手足を折り曲げ 鰹節みたいに黒くなめらかに硬直していた ひろびろとした焼け野原のただ中で窮屈そうに その小さな穴のひとつにこの世への抜け道が隠れていることを もう知ってはいたけれど そこを通って反対側へ帰っていきたいという 浅ましい郷愁がぼくに人々を忘れさせ 星々の荒野の片隅の孤独にぼくを自足させることに その時ぼくはまだ気づいていなかった 宇宙飛行士たちはおしめをしている 母乳を吸うようにプラスチックの袋からスープを吸う だが彼らもまた新しく誕生した者ではない 未来の真空の伝説から抜け出してきたフランケンシュタイン ガラスケースの中で仁王立ちになっている 黒いヘルメットに顔を隠し 手に雛菊一輪もつこともできずに 丘を越える鳥たちにあこがれたあげく 無重量の中を漂う男たち女たち おびただしい映像がぼくらから悪夢さえ奪ってしまう 磨き上げられた真鍮の顕微鏡と望遠鏡の中間で視線はうろつく 何を見ればいいのか すべてが見えているのに トルコ石と褐炭と貝殻と黄鉄鉱のモザイクで飾られた頭蓋骨が ところどころ欠けた本物の歯を剥き 目はとび出した半球形の鉄の蓋のよう ぼくらのもろい骨の容器の内側には 太古から精巧なプラネタリウムが仕掛けられていて 投射される幻をその目が辛うじて閉じこめているのだ もうひとつの頭蓋骨 こっちにはなんの飾りもない 死者の縁者によって持ち運ばれていたという 草で編んだ袋に入れられ真昼の太陽に照らされて それは生者の腰でぶらんぶらん揺れていた もしも愛する者が先に死んだら ぼくもこのアンダマンの人々の真似をしたい だが今やドクロもまた大量生産される クメール・ルージュが築き上げたドクロの山を運ぶのは ひとりの男でも女でもなく一台のブルドーザー ぼくもまた生きているうちから番号で呼ばれ 一枚のカードとなって世界中を流通している ぼくの名は 3761‐001862‐33008 ぼくはいったいいくらなんだ? ウクライナは核兵器を自分たちで管理する気だ 南ア連邦は果たして国際クリケット大会に出場できるか 妻を強姦した英国人が三年の刑をくらって上訴する 豪邸に住むテキサス男が理由もなく二十二人を射殺した 日本人は文化をすべてソフト・ウエアの名で一括する ぼくのからだはハード・ウエア 得体の知れぬ漢方薬を呑み下す 太い血管の浮き出たたくましい手が放り出すハンマー 鉄板を鳴らして去る足のクローズ・アップ 煤だらけの怒った顔から止まった機械への早いカット 色もなく音もなく繰り返されるゼネスト エイゼンシュテインは生き生きと閉じこめられている マリリン・モンローと一緒の映像の動物園に 〈母は離婚のことは一切口にしませんでした いつも仕事で忙しく動き回っていて でも最後に堰を切ったように話してくれました 私はビデオ・カメラをテーブルの上で回し放しにしておきました 今編集中です 誰にも見せません〉 優雅に自然食を食べながらその娘は言った 〈三、四百本はあるんじゃないかな 木管はほとんどない金管だねやっぱり 博物館を作りたいんだけどどこも金出してくれないんだよね 女房とまずくなっちゃってねラッパにばかり夢中になってるから〉 民族博物館で蛇の形をしたホルンを 髭のトランぺッターは食い入るようにみつめている ルチアーノ・べリオの隣人は道化でした ペーズリーのベストに黄色い燕尾服のトロンボーン奏者は講義する 「セクェンツァ5」の主題は普遍的WHYですと吹いてみせ コメディア・デラルテにつながる前衛音楽のあとで 彼はアボリジニーの呼吸法で自作を演奏する 夢が喚起するより深い現実という常套句にもめげずに 耳は夢見ることができないから音楽はいつも現実的だ だがその現実はこの現実からなんと隔たっていることだろう 弱音器をつけた弦楽のなだらかな丘の上で愚者と賢者の別はない こまかい金管のトレモロの海にはゴミひとつ浮いていない 長い拍手のあとでやっと立ち上がるタキシードの男たち 彼らは本当は眠っていたのだ 誰のものとも知れぬ天才たちの夜を 少女たちはここでも長すぎる袖の中に両手を隠して ひよこのように甲高い母音を地下道に響かせている サキソフォンを吹く青年の前に散らばる小銭 ぼくは恰幅のいい老婆に金をせびられる 世間知らずと思われたくないという見栄が同情に勝って ぼくは英語が分からないふりをする 錆色のビターの丈高いグラスが林立している 詩人たちは雨の中を自転車に乗ってやってくる 貧乏は今も誇り高い美徳 大小の批評のナイフを懐に隠し持って祭を待ち望む君らには まだ脚韻が踏めるのか そのディラン・トマスばりの声で 廃墟となった数々の城を原子力発電所とむすびつけられるのか 岸すれすれにまで水をたたえた小川がゆっくりと流れていく 黒い羊が散らばる小山が霧に見え隠れする この風景のうちにいつまでもとどまりたいと願う画家の目に 羊飼いの少年の手の霜焼けは見えない ぼくらはずっと以前から細部を見失いつづけている ターナーの霧はすでに死の灰を予言していた 我々は惨禍の時代を生きていますと薄っぺらなパンフレットは叫ぶ 一九八〇年十一月のナポリの地震 一九八〇年夏のアメリカの熱波と旱魃 一九七九年のカリブ海諸島のハリケーン・デービッド 一九七九年五月のシカゴ郊外の飛行機事故 彼等はみな死んだのです そう ぼくらはみな死ぬのだ そうして突然歴史の外に投げ出される ステンド・グラスは巨大な絵本 聖歌は昔習った小学唱歌のように耳に快い 内陣は観光客を拒んで柵と見習い僧によって結界されている この厳粛な神に対抗するにはユーモアしかないだろう クラナッハのエロスはものうげに横たわる 目を近づけると白い足指が今ここにあるようだ 嚙んでやりたい これは決して所有できないものの一部だから 昼食に食べた新鮮な牡蠣と同じように 理想を語らせずにぼくらを幸せにしてくれるもののひとつだから 長い午後 港には海鳥 酒場には強いRを響かせる土地の詩人たち どの言語にも海・土・光・木を表す単語があるが 古代人が似ていたようには同時代の詩人たちは似ていない けれどみなオルフェウスになりたいという野心は同じ それはコンピュータを笑わせること泣かせること かすかに潮の香がする町に地下鉄はない 有り難いことに荒野の下にはウィスキーを生む地下水が流れている 決して引き返すなとぼくは教える 異国の連衆に 目的地は分からないただそこへ行き着くだけだと 他人にむかって自分を開くことができさえすれば 思いもかけぬその道程で束の間言葉はぼくらを癒すだろう 遠くの造船所から槌の音が聞こえてくる 眩しげに陽光を顔に受けてたたずむ白髪の老夫婦 愛する指のように深く内陸を探る波ひとつない入江 この一日をすべての詩とひきかえにしてもいい 今日のあらゆる細部が死ぬまでぼくの記憶に残るなら 問いかけることは何もない ただ満足することができるだけだ 一九九一年十月、ロンドン―オクスフォード―カーディフ―リバプール―エディンバラ―ウラプール ※ 前回に引きつづき、谷川俊太郎詩集『モーツァルトを聴く人』より。 わたしどこかで、この詩の一部抜粋されたのを見たことがあって。 たぶん最終連だったんだろうと思うんですが、 「愛する指のように深く内陸を探る波ひとつない入江」 この一行だけ強烈に覚えてました。 (そして勝手に北欧のフィヨルドのことだと思ってた(笑)) 深い「入江」を喩えるのに「愛する指のように」とは! ほんっっとに驚いた。エロい。すばらしい。 そして今回この詩集を読んでいて、突然この一行に出会ってまたびっくり! こんな詩の一部だったの!? ええっ! この詩めっちゃ長いですが、最終連の 「この一日をすべての詩とひきかえにしてもいい 今日のあらゆる細部が死ぬまでぼくの記憶に残るなら」 この言葉が、この長さがあってこそ説得力があると感じました。 海外に旅行に来て、ふだん日本にいるときとは違うものや人を見、 刺激をたくさん受けていろいろ考えて、 この一日の経験や思いを細部まで永遠に持ち続けていたいと願う気持ち。 内容は現代批判のようでもありますが、 でもそんな簡単なひと言でこの詩を理解したくないなー。 わたしも自分がイギリスを旅行してこういう一日を送った、 という気になったことがとても楽しかったです。 (上の写真はソウルの街並みで、作品の内容とは無関係です…)
by a-sunrise
| 2017-11-12 16:20
| 好きな詩
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